こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!
今回はルイ・アルチュセール『再生産について:イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置』をとりあげます。『教育思想史』(有斐閣アルマ、2009年)の参考文献から選びました。
【概要】
ルイ・アルチュセールは戦後フランスを代表する哲学者で、
以前にもとりあげたフーコーの8歳年上、ブルデューの12歳年上で、
フーコーやブルデューに大いに影響を与えた人物です。
冷戦が終わるまで、最も影響力を持った哲学の一つである、
マルクス主義哲学(共産主義思想の起源であるカール・マルクスの打ち立てた哲学)の最大の理論家であるアルチュセールの本書は、
アルチュセール哲学の成熟期に書かれたものです。
本書の結論を一言でいえば、
「労働者が資本家に対して革命を起こさず、
資本家による搾取がずっと続いているのは、学校のせいだ」
といったものです。
労働者による革命を目指したマルクス主義の文脈で、議論を深めていることがわかります。
1. アルチュセールの視点
さて本書のタイトルにもなっている「再生産」とはそもそも何をさすのでしょうか。
再生産は、辞書的な意味で言えば、「同じものの生産を継続して繰り返すこと」です。
例えば、米農家が毎年毎年米を生産するようなものです。
しかしアルチュセールが特に焦点を当てるのは
「生産諸関係の再生産」、
すなわち「同じような生産諸関係が作り出され続け、継続していく現象」です。

ルイ・アルチュセール(1918年10月16日 - 1990年10月22日)
さて、「生産諸関係」というわけのわからない言葉が出てきました。
アルチュセールは彼の初期の思想において、
カール・マルクスの哲学に傾倒していたため、
「生産諸関係」というのもマルクスの用語です。
一応マルクスの用語を確認しておきましょう。
2. 生産様式=生産諸力+生産諸関係
マルクスにおいて生産諸関係とは、「生産を行う際に人々が取り結ぶ関係」のことで、
資本主義における生産諸関係は「資本家に労働者が従属している関係」のことです。
資本家は工場や機械やお金などの生産手段を持ちますが、
労働者はこういった生産手段をもたず、資本家に従属します。
生産諸関係は資本主義においては従属関係ですが、
他の時代や経済システムでは、別の関係(例えば対等な関係)をとることも考えられます。
この生産諸関係の中で、
生産手段と労働力(これをまとめて「生産諸力」と呼びます)が用いられ、
生産が行われます。
そしてこの生産諸関係と生産諸力をまとめて「生産様式」と呼びます。
<生産様式=生産諸関係+生産諸力>ですね。
生産様式とは、「人間が自然にはたらきかけ、生きるための財貨を得るやりかた」のことです。農業などを考えるとわかりやすいですね。
歴史を通じていろいろな生産様式が登場してきて、
現代社会における生産様式は資本主義的生産様式である、
という歴史認識をマルクスはもっていました。
さて、やっとマルクスからアルチュセールに戻ってきます。
アルチュセールが「生産諸関係の再生産」というとき、
<生産様式=生産諸関係+生産諸力>
という等式の中の、「生産諸関係」のことを意味しているのです。
3. 生産諸関係の再生産
アルチュセールの説明によれば、
マルクスは生産諸力の再生産については分析してくれているが、
生産諸関係がどのように再生産されるか分析してくれいません。
(有名なマルクス『資本論』における、生産諸力の再生産の分析は、
そのまま「なぜ資本主義では労働者が搾取されるか」の分析につながっています)
このままでは、資本主義的生産様式が再生産されるプロセスについての理解が十分でなくなり、資本主義をかえていく(共産主義にする)ことができない、という問題意識ですね。
まずマルクスが分析したとされる生産諸力の再生産とは、
・生産手段である原料や材料はどうやって調達・流通するのか
・労働力をどうやって回復するのか(要は、労働者の体力がどう回復するのか)
という点についての分析です。
アルチュセールはこれに加え「生産諸関係の再生産」を分析したいと述べていますが、
それは資本主義の文脈に寄せて言い換えれば、
「労働者はなぜ資本家に大人しく従属し続けるのか」を分析するということです。
確かに考えれば、雇用者より被雇用者の数の方が圧倒的に多いので、
もし不当に搾取されているのであれば、
被雇用者が立ち上がって革命を起こすのが普通の流れに見えます。
なぜ大多数の被雇用者は少数の雇用者に対して従属し続けるのか。
アルチュセールは、マルクスの国家論をより深めながら、その答えを探ります。
