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教育思想史④フーコー『監獄の誕生ー監視と処罰』(1975、邦訳1977)


こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!



今回はミシェル・フーコー『監獄の誕生ー監視と処罰』をとりあげます。『教育思想史』(有斐閣アルマ、2012年)の参考文献からとりあげました。


以前の記事で取り上げたイリイチと同時代人(というか同い年)で、

教育思想史的には当時の(学校)教育批判の流れの中でイリイチと並んで取り上げられることが多い著者です。



【概要】

 

ミシェル・フーコーはフランスの哲学者・歴史学者であり、20世紀の知の巨人と呼ばれた人物です。この短い記事でフーコー思想を総覧することは不可能ですが、

一つ言えるのは、フーコーは人々が気づかないところに「権力による暴力」を見出すということです。一見良いものとされているものが、実は人々に対して大きな権力を振るっている、そういう姿を暴き出します。



1. 「利他的な」権力

 

それでは本書ではどのようなものに権力を見出すのでしょうか。

この書評ブログの関心に引き付けて言えば、それは教育者の「利他性」に、です。

生徒のためを思って、生徒がよりよい人生を歩むようにサポートをする我々教育者に権力を見出すのです。


フーコーは、このような「教育者」を学校の先生に限定して語っているわけではありません。精神科医・心理学者・宗教者なども、教育者のこのような「利他的な」性質を共通してもっているとします。


つまりフーコーは、他人の生き方考え方を「良い方向に導こうとする」人々、いわば「利他的」な人々に共通する「利他的」な性質が権力的であるというのです。


何かちょっとわかるような気がしませんか。



ミシェル・フーコー(1926年10月15日 - 1984年6月25​日)


2. 学校は監獄と同じだ

 

フーコーは、このような利他的な権力が最もわかりやすい形で働いている場所が監獄(=刑務所)であるとします。監獄は受刑者の社会更生のための施設なので、他人の生き方を「良い方向に導こうとする」点で利他的なような気がするのはわかりますね。フーコーは監獄を権力のモデルとして考えるのです。


フーコーの議論に特徴的なのは、この監獄と、学校・精神病院・カウンセリングなど全てに共通する特徴として利他的な権力を見出すことです。

つまり、学校はある意味監獄と同じということですね。


ここまでで分かるのは3つのポイントです。すなわち、

①監獄では受刑者の生き方を良い方向に更生しようとする

②学校などの別施設でも同様の方向づけが行われる

③そしてその方向づけは権力的である

という3点です。


3. 監獄における「監視と処罰」

 

上記3ポイントの②、学校等と監獄の共通性については後ほど説明するとして、まずは①の点、つまり権力のモデルとなっている監獄の仕組みを見ていきます。

監獄における権力の根幹になっているのは「監視と処罰」です。

(ちなみに邦訳版ではメインタイトルが「監獄の誕生」でサブタイトルが「監視と処罰」ですが、原書フランス語版ではメインとサブが逆になっています。この事実から、「監獄」の分析はあくまで「監視と処罰」の一例に過ぎないことがわかります。)


では「監視と処罰」によって、社会更生はどのように達成されるのでしょうか。


3-1. パノプティコン

フーコーが監獄の理念的なモデルとしてとりあげるのは、「一望監視施設(パノプティコン)」と呼ばれる施設です。パノプティコンはイギリスにて開発された監獄における監視システムの一つです。



パノプティコン


上のイラストを見れば分かるように、円形の建物に独房が設けられ、中央の監視塔から全ての独房が一望できるようになっています。パノプティコンは以下のような効果をもつとされます。


(ⅰ)コストパフォーマンス

少数の看守で多くの囚人を監視することができます。

(ⅱ)常に監視されている感覚

受刑者の側からすると、常に監視塔から監視をされている感覚になります。

ここで大事なのは、実際に監視されていなくても「監視されている気になる」ことです。

(ⅲ)個人間のコミュニケーションの遮断

独房に閉じ込められた受刑者たちはお互いにコミュニケーションが取れません。

そのため、一人で内省する時間が増えます。


これらの結果、

・監獄の中で求められていること(つまりある種の規範)が明確に受刑者に認識され、

・受刑者はその規範に沿っているかを常に監視「されている気」になり、

・受刑者は自分一人で(他の受刑者からは遮断されて)自分の行動について振り返り、いわば「自分で自分を監視」するようになり

・その結果、受刑者は社会の規範を自分の中に取り込み(内面化)、考え方を改めていきます。


この施設の驚くべき点は、実際には監視者がいなくとも、

監視塔があるだけで、「監視されている」と思わせ、

無意識に内省・反省にしむけるという点です。


3-2. 行動訓練

監獄では、受刑者を独房に押し込み監視をするだけではありません。

まともな人間になるための行動訓練によって、まともな行動を身体にすりこんでいきます。そしてその受刑者の精神までもまともに更生していきます。


たとえば「まともな行動」とは、早寝早起きや刑務作業、点呼などのことですね。


ここでの特徴は、一つ一つの行動の過程を細かく分解し、

徹底的にその細かい行動基準に受刑者を従わせることです。

それにより行動を無意識で行うぐらい身体にすり込み、

それを通じて精神(つまりその人の考え方)をも変えていく、という考えです。



3-3. 恩恵と制裁

最後に、監獄では良い行動は恩恵を与えられ、悪い行動には制裁が与えられます。

これにより「何が良くて何が悪いか」という基準が提示され、

個人はさらにその基準を内面化していきます。

(細かいことですが、「恩恵」も「制裁」も英語でsanctionですね。sanct-という接頭辞は「聖なる」という意味があるので、「聖なる立ち位置」(つまり社会の規範=監視者)の視点から受刑者の行動を評価するということがsanction=恩恵=制裁なのでしょう)