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教育心理学⑦竹内『子どもの自分くずしと自分つくり』(1987)


こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!


今回は竹内常一『子どもの自分くずしと自分つくり』をとりあげます。『やさしい教育心理学』(有斐閣アルマ、2012年)の参考文献からとりあげました。


【概要】

 

竹内常一は戦後日本を代表する教育学者で、

特に生活指導や集団づくりの研究や実践で長らく第一線の位置にいた人物です。


本書は、1970年代後半から突出した校内暴力や、1980年代のいじめ・不登校といった、子供たちの「問題行動」を分析するなかで、竹内が自我形成の理論を提示した内容となっています。



1. 思いがけない「問題行動」

 

竹内の議論をよりよく理解するために、

最初に具体的なケースを想定してみましょう。


小学校6年生のAさんは、4年生までは手がかからない優等生でした。

学校の成績もよく、先生のいうこともよく聞く子でした。

しかし5年生ごろから攻撃的な態度が目立ち始め、

6年生になると、クラスの中の唯一の中学受験生だったBさんを猛烈にいじめ始めました。


いじめのような「問題行動」が起きるとき、上記のようなケースはよくあると思います。

優等生だった生徒によるいじめ。これをどう理解すればよいでしょうか。


いろいろな解釈があり得ますが、竹内の議論をみていくと、

いじめ問題を入り口にして、人間の自我形成という大きな出口にたどり着くことになります。(そしてそれはまだ別の問題への新たな入り口となります)



竹内常一(1935年1月13日 - 2020年9月1日)

2. 人間の自我形成

 

説明の便宜上、出口である「人間の自我形成」からみていきましょう。


竹内は、生誕から思春期(小学校高学年~中学校)までに注目し、人間が初めて自我形成・自我解体・自我再編を経験する過程を説明しています。


この自我形成・解体・再編では「他者」がキーワードになっていきます。

自我と対置されがちな「他者」ですが、竹内によれば、自我はある種「他者によって」作られていきます。


<1>乳児期~幼児期前半

自我意識が強くなく、自己と他者の区別が相対的に弱い時期になります。

例えば赤ちゃんは自分の手を目の前で動かしながら不思議そうに手をみつめることがよくありますが、この時「自分の手」という自我意識はあまりなく、「何か物体がある」という感覚が強いのでしょう。


<2>幼児期中盤~少年期前半

3歳ごろから自己と他者が明確に分化してくる時期に入ります。

最も重要な他者である親との関わりの中で自我を形成していきます。

親のもつ規範や道徳を取り入れます(内面化)。

内面化された規範や道徳のことを「内なる他者」と呼びます。


<3>少年期中盤

小学校低学年~中学年の時期です。

それまでは親と行動を共にすることがほとんどだった子供が、

子供達だけのグループを作って行動をするようになる時期です。

それによって、親という「内なる他者」からは独立した子供だけのルールができてくる時期になります。


とはいえこの時期はまだ、親という絶対的な「内なる他者」と自己の関係が、絶対的な学校ルールと自己の関係に置き換えられるに過ぎないなど、「内なる他者」への反抗は目立った形では現れません。

また、子供の集団の中ではルールが絶対視される傾向にあり、ルールから外れる子供がいじめられてしまいます。つまり、ルールの絶対性という点では、学校と自己の関係をひきずっています。


<4>少年期後半~思春期

小学校高学年~中学校の時期です。子供達にとって親との関係よりも友達や他の大人との関わりの重要性が増し、その人間関係の中で、学校や親からは自立した価値観が芽生えます。この自立を通じて「内なる他者」を破壊し、新しい自我を獲得していきます。


このように、思春期までの自我形成では、


・親

・学校(の先生)

・友達

・他の大人

・兄弟


など、他者との関わりの中で、他者をモデルや鏡にしながら、自我を形成していくことになります。


他者を通じて自我を形成し、

他者を通じて自我を解体し(「自分くずし」)、

他者を通じて自我を再編する(「自分つくり」)、ということになります。



竹内常一『子どもの自分くずしと自分つくり』


3. 「問題行動」の意味

 

さて、このような自我形成のプロセスに照らすと、冒頭の「いじめ」問題の見方が変わってきます。そして「いじめ」だけでなく、「不登校(登校拒否)」「非行」「いじめ」などのいわゆる「問題行動」一般の見え方が変わってきます。


なぜなら、問題行動の一つ一つを「自我再編へのもがきである」と見ることができるからです。


 例えば冒頭の例のAさんは、幼年期から親による抑圧をうけ、「内なる他者」にひたすら服従してきたとしましょう。親に甘える余裕がなかった子供だったのです。

 小学校に入って大きな環境の変化があった時、これまでに得てきた「内なる他者」との服従関係を、学校的ルールとの服従関係に置き換えることで安定を得ます。先生の言うことを聞き、真面目に勉強します。表向きは真面目ですが、実態は「学校過剰適応」とも呼べるほどです。

 しかし高学年になり学習内容も難しくなると、これまでより成果がでなくなります。それはAさんにとっては「内なる他者」からの逸脱を意味し、不全感にさいなまれます。つねに「自分はだめだ」という感覚に襲われます。「内なる他者」への服従を絶対視していたAさんは、自己の生がとても不安定に感じます。自我を安定させるために、「内なる他者」とは異なる新しい価値観を獲得しようとするのです。

 偶然クラスには中学受験生のBさんがいます。AさんからみるとBさんは学校的ルールに照らせば優等生で、自分が否定したい価値観を体現しています。そこでAさんはBさんに対し「いい子ぶってる」と批判しいじめてしまうのです。

(他方、自分より成績が悪いCさんを「おちこぼれ」としていじめることもあります。学校的ルールを拒否したように見えたAさんですが、古い価値観も根強く残っているため、そこにしがみつく側面もあります)

自我再編はどの子供も通過するプロセスです。

しかし子供によっては、幼年期からの「内なる他者」との関係や、

少年期にどのような同級生と一緒に過ごしたかなどの要因で、

結果として「問題行動」に向かっていくことがある、ということです。


4. 自我再編のサポート

 

このようにみていくと、「不登校(登校拒否)」「非行」「いじめ」などの問題行動はそれ自体を抑えこむのではなく、その背景にある自我再編へのもがきをサポートすることで対応していくべき、ということになります。


 では、自我再編へのもがきをサポートするとはどういうことか。それは、人間関係(他者との関係)を変えるサポートをするということです。


 親という絶対的な「内なる他者」、そしてそれが投影されている学校の中で子供は過ごしています。そしてそこでの人間関係は、「同質・非対等」という特徴を持ちます。

 つまり、ある単一の学校的ルール・価値観に全員が従い(同等)、教師やスクールカースト上位生徒の支配のもとで(非対等)、人間関係が形成されています。


 新たな自我を再編していくためには、このような人間関係ではなく、「異質・対等」を特徴とする人間関係を構築していく必要があります。ありのままの異質な他者がお互いを尊重し合う関係を築くということです。

 そのためには、親密な友達、もしくは教師・親とは異なる大人との対等な関係を築いていく必要があります。それらの新しい他者は、親や学校とは別の形で自分のことを評価してくる存在です。また、それらの新しい他者のがもつ別の価値判断基準を参考にして、自分なりの新しい価値判断基準を作っていくことになります。



不登校児童生徒(50日以上欠席者)数等の推移

(文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」)


5.「問題行動」の社会的原因

 

上で見たように、「内なる他者」の書き換えによって自我を形成していきます。

そしてその結果として、「問題行動」が生じると考えられます。

竹内は特に70年代以降、「問題行動」が増加した社会的原因の分析も行っています。細かくみると長くなってしまうのでシンプルにまとめると、以下のような点になります。


核家族化によって親に育児負担が集中した

・高校進学が一般化したことで、親が進路選択のための勉強を子供に強要するようになった(教育家族化

・産業構造が高度化することで、創造的な人材を求める企業がいわゆる「ゆとり教育」を後押しし、「主体的な学習」を評価するという名の下で、学校的ルールへの忠誠競争がかきたてられた


【塾の文脈での読直し】

 

 さて、生活指導の大家、竹内常一を読んできましたが、これはどのように実際の現場で生かすことができるでしょうか。


2点みてみたいと思います。


1.生徒コミュニケーション

 

 生徒と話すとき、生徒の口にする言葉の表面上だけとらえて対応してしまうことがよくあると思います。例えば我々は、「勉強したくない」という言葉を聞いて「そうか、こいつはやる気がないんだな」と考えてしまいます。

 これは、「生徒が大人のように安定した自我をもち、心の内をそのまま言葉にしてくれている」と我々が生徒を単純視してしまうからです。


 しかし、「生徒は自我再編の真っ只中で、自分でも形容できない衝動や気持ちに突き動かされ、なんとかもがいているのだ」と考えれば、言葉の奥にあるメッセージ(いわゆる「コノテーション」)が聞こえるかもしれないのです。


2. モデルとしての他者

 

 コノテーションについては、同じようなことを過去の記事でもとりあげました。

 アドラーの記事では「相手はどんな優越感を追求してこの言葉を言っているのだろう?、と考えてみるべき」と書きました。

 エリクソンの記事では、「子供たちは現在直面している発達上の課題に対してもがいているのだ、と考えてみるべき」と書きました。

 竹内の議論はこの延長線上で考えることができます。


 しかしさらに、「他者をモデルにして自我再編を行う」という視点は重要です。バンデューラの記事では「モデリング学習」に触れましたが、竹内の議論では自我の形成という、自己の根本の関わる部分でも他者がモデルになっていることがわかります。

 ウィリスの記事「生徒を取り巻く人間関係を知ることで生徒理解が深まる」という点を取り上げましたが、それをより理論的・実践的に掘り下げているのが竹内の議論なのだと思います。



竹内常一『新・生活指導の理論』

60年にわたる生活指導・教育学研究をまとめた2016年ぶりの論文集

 最後に直接生徒のことではないのですが、我々大人も自我形成・解体・再編から自由ではないことも改めて思い知らされました。


 自分たちが、そして隣にいる同僚や上司が、過去に他人とのぶつかりあいの中でなんとか自我を形成・解体・再編してきたことと考えること、そして今も新たな他人にぶつかりながら自我を解体・再編していると考えることが大事だと思いました。


そんな思いをもちながら、改めて現場の指導にあたりたいと思います。

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