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教育心理学④ヴィゴツキー『「発達の最近接領域」の理論』(1935、邦訳2003)

更新日:2021年7月29日

こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!


今回はレフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキー『「発達の最近接領域」の理論』をとりあげます。『やさしい教育心理学』(有斐閣アルマ、2012年)の参考文献からとりあげました。


【概要】

 

レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキーは20世紀前半のソ連の心理学者であり、

37歳の若さでこの世を去ったものの、革新的な理論とたいへんな多作のため、

心理学のモーツァルト」と言われていたようです。

一口に心理学といっても、ヴィゴツキーは芸術心理学、俳優心理学、教育心理学などかなり多面にわたって執筆をしていて、かつそれぞれの内容に密接な関連があり、それらが合わさって一つの思想体系を作っているような、天才心理学者だそうです。


本書はそんなヴィゴツキーの代表的な論文を死後に再編集した書籍です。


全体で一つのテーマを書き下ろしている本ではなく、

様々なテーマについての論文が収録されているため、

以下の【概要】では特に重要と思われる論点3つに絞って整理をしていきます。

そもそも前述したようにヴィゴツキーの思想体系自体が壮大なので、

ひとまず理解できたかもしれない部分に絞っていきます・・笑




レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキー(1896年11月17日 - 1934年6月11日)


論点(1) 発達の最近接領域(ZPD)

 

突然ですが、生徒の学力水準をどのように測ればよいでしょうか?


普通に考えれば「テストを行い、点数を見る」ということになるでしょう。

しかしヴィゴツキーはこの考えに反対します。


ヴィゴツキーによれば


今日の発達水準:生徒が自分一人で出せる成果(これはテストの点数でわかりますね)

明日の発達水準:生徒が大人の助けのもとで出せる成果(言い換えれば、明日には自分一人でできるようになっているかもしれない成果)


の2つを区別するべきだ、といいます。


例えば、テストで同じ点数をとったAくんとBくんがいます。

Aくんは先生の助けを借りれば点数が20点アップし、

Bくんは先生の助けを借りても点数が5点しかアップしませんでした。


この時、上記①のみで見ると二人の学力水準は区別できませんが、

②の視点で見ると区別できます。


つまり、①と②を区別し、①と②のギャップがどれだけ大きいか(つまり教えたらどこまでできるようになるのか)を意識することが大事なのです。


このように、教授行為によって伸ばすことができる生徒の伸び代のことを

「発達の最近接領域(the Zone of Proximal Development: ZPD)」といいます。


ヴィゴツキーによれば、生徒の学力水準(学力に限定せずにいえば、発達水準)を測るためには、単なるIQテストなどではなく、ZPDの考え方を用いるべきだ、と言います。



ZPDの図解

(参照元:https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090113ZPD.html)


論点(2) 教授行為と感情

 

では、実際に教授行為を行う際にはどのような点に気を付ければよいでしょうか?

当たり前ですが、「わかりやすく」説明することですよね。

しかし「わかりやすく」とはどういうことか説明できるでしょうか?


ヴィゴツキーの答えは「感情に働きかけること」というものです。


学校的な知識は、基本的には抽象的・論理的概念です。

生徒たちの学校外の生活(友達・家族・地域)からは切り離されたものとして教えられることが多いと思います。そしてそれゆえに、感情的というよりは理性的(認知的)に教えられることが多いです。


しかしヴィゴツキーは学校的知識のような抽象的概念を学ぶためには、生徒たちの感情を揺さぶる必要があると考えます。

もっと突っ込んでいうと、ヴィゴツキーは生徒たちが持っている生活感情と学校で教える知識を結びつけることが大事だと言います。


例えば、社会科で公害問題を話すとき、公害についての客観的情報(地名・病名・年号)などを話すことはもちろん大事です。しかしそれと同時に、生徒の感情を巻き起こさないと、知識として入っていきません。具体的には、映像・講話・事例の紹介などを通じて公害被害者の感情を生徒と共有することが、知識の定着と深化につながるかもしれません。


論点(3)ピアジェ批判としてのヴィゴツキー

 

上記に述べた2点は、ピアジェへの批判として捉えることができます。(というよりヴィゴツキーは直接ピアジェを批判しています)


ピアジェは以前の記事で述べたように、子供の認知水準の発達過程を説明していました。

例えば「因果関係という論理的概念の認知は〇〇歳にならないと難しい」などの発達段階を整理してくれていました。



ジャン・ピアジェ(1896年8月9日 - 1980年9月16日)

ヴィゴツキーと同い年ですね!!ずいぶん長生きですが。





しかしピアジェの議論には


①認知水準が教授行為によって引き上げられるという視点がなかった

②発達過程における感情の役割にあまり注目しなかった


という問題点があるとされます。以下に少し詳しく説明をしてみます。


①について

ピアジェとヴィゴツキーの争点をかなり単純化して提示すると


・子供は自然に認知を発達させ、その中で認知水準に見合った知識を「学んでいく」と考えるピアジェ

・子供の発達を支援するために、大人が子供に「教える」ことが大事だと考えるヴィゴツキー


というふうになります。

ピアジェでは、子供の認知水準の発達はある種自然に起こり、子供がある水準に達さないと、抽象的な知識を獲得することができないと、読み取ることができます。つまり抽象的な知識を教える教授行為はいつも生徒の発達の後追いをするということですね。


しかし論点(1)でのヴィゴツキーによれば「その認知水準というのは、あくまで『今日の水準』であり、『明日の水準』のために教授行為は重要だ」と批判が可能です。ヴィゴツキーはその意味で、教授行為は発達に先行するべきと考えているのです。


ゆとり教育VS脱ゆとり教育でも「学ぶ」VS「教える」という対立軸がありますが、

大まかにはピアジェとヴィゴツキーの対立につながるのかと思います。

②について

ピアジェが感情を軽視しているという点。

前提として「感情」と「認知(認識)」が対比されていることが大事です。

論点(2)のヴィゴツキーの議論と絡めて言えば


・学校的知識を教授する時に、認知的なやり方(歴史上の出来事の順序を整理したり、因果関係を説明するなど)では不十分であり、

・その情報について、どのような感情を生徒の中に喚起するかが大事だ


ということです。



以上、3点の論点の整理となります。

このように、ヴィゴツキーの一部の論点だけとってみても、

とても大きな問題につながっていることがわかり、

ヴィゴツキーの議論の壮大さにどうしていいかわからず本書を読んでいました。

【塾の文脈での読直し】

 

さて、天才心理学者ヴィゴツキーから、どのようなことを学べるでしょうか。

2点挙げたいと思います。


1.生徒の学力を正確に把握する方法

 

生徒の学力を把握しないと、個別の対応ができないですよね。

しかしどのような視点から学力を把握するのか、という問題があると思います。


例えばFreewill学習塾では、毎回の授業後に講師に担当生徒についてのフィードバックをします。「この生徒は今日どうでしたか?」などと聞くのですが、この時に講師にどのような発問をすれば生徒の状況がよりよく把握できるか、いつも苦慮していました。


ヴィゴツキーの論点(1)はこの問題に答えを与えてくれるような気がします。


具体的にいえば、ある問題に生徒が対応できるかどうかを測る時、


・自分一人で対応できるのか

・自分一人では対応できないが、先生の助けがあればできるのか

・先生の助けがあってもできないのか


という3グループに分けて見ることができると思います。


講師にも「この3グループのどれに入りますか?」という発問をすること非常に重要なんだと、本書を読んで思いました。



レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキー『「発達の最近接領域」の理論』



2.教授法の改善:生徒の感情を喚起する

 

一つの説明をして、すんなり頭に入る生徒と、そうではない生徒がいます。

これはもちろん、認知水準の発達の差が原因だったり、語彙力が原因だったりします。

そういった時、理解に困難を覚える生徒に対して、

なるべくその生徒の感情を喚起するような説明をするのが良いのだ、とわかりました。


例えば一ヶ月前ほど、小6の中学受験生に、

第一次世界大戦への日本の参戦について教えました。

単に年号や三国同盟の構成国や対華二十一カ条要求について情報を教えるだけではなかなか理解をしてもらえないとおもったので、その時は日本参戦の「火事場泥棒」的な側面を強調してみました。ヨーロッパ戦線でドイツが必死に戦っている時に、遠く離れたアジアの池で日本がドイツに宣戦布告し、アジアにおけるドイツ領土を獲得した、という話ですね。

その生徒に対して、

「よし、君がドイツ人だとしよう。ヨーロッパで必死に戦っているんだ。その時に日本が遠い遠い向こうの方で『よし、ドイツ!日本もお前と戦うぞ!ここの領土はもらった!!』といったらどう思うかな?」と聞いたりしてみました。


そうするとその生徒は「『すごい卑怯だ!!』って思う!」と感情的に理解をしてくれました。(もちろん、なるべく中立的になるように、その時代は世界各国が様々な卑怯なことをしていたということは説明しました)


その結果なのか、第二次世界大戦の日独伊同盟に話が及んだときに「え!ドイツはあんなに卑怯なことされた日本と今度は同盟結んだの!なんで??」と積極的な質問がでてきました。


このような手法は前々から無意識的には使っていたのですが、

この度ヴィゴツキーをしっかり読んでみて、

「そうか、だからあの時ちゃんと理解してくれたんだ!」と腑に落ちました。



さて、ソ連の天才心理学者ヴィゴツキー、読めば読むほど、調べれば調べるほどその理論の奥深さに圧倒されています。

今後は原書も研究書も含めて読んでいき、その真髄に到達できるように頑張りたいと思います。

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