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教育心理学③アドラー『子どもの教育』(1930、邦訳2014)


こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!


今回はアドラー『子どもの教育』をとりあげます。『やさしい教育心理学』(有斐閣アルマ、2012年)の参考文献からとりあげました。

ただアドラーは他にも岸見一郎による邦訳がたくさん出ているので

『個人心理学講義』(2012)や『勇気はいかに回復されるのか』(2014)も併せて読み、それらの内容も取り入れて以下を書きました。


【概要】

 

アドラーはオーストリア出身の精神科医・心理学者です。

先輩の精神科医(精神分析学者)で有名なフロイトと共同研究をしていましたが、

20世紀初頭に袂を分かち、自己流の「個人心理学」という領域を立ち上げました。

近年日本でも育児から人生論まで幅広く読まれている著者ですよね。


1. 個人心理学の特徴:目的論

 

アドラーの個人心理学を特徴づけるものには様々な側面がありますが、

フロイトとの違いとしてしばしば取り上げられる本質的な特徴は「『目的論』で人間を見る」ということです。

現在Aという行動をとっているのは、

過去にBという原因があったからではなく、

将来のCという目的を追求するためである、と考えます。


例えばある人が強迫神経症を持っていて、症状として極度の潔癖性が出ていたとします。

フロイトであれば、幼少期の親子関係の不全を原因として不安が生じ、その不安を払拭するための行動が潔癖という症状に現れていると考えます。つまり、「過去」のトラウマが現在の症状の「原因」になっていると考えます。


この「過去」志向及び「原因」志向のフロイトに対して、アドラーは「未来」志向及び「目的」志向で考えます。すなわち、過度な潔癖な人間は、他人より優越するという目的達成のために、「私は綺麗好きだが他の人はそうではない。私は優越している」と考えたいのだと解釈します。


このように、全ての人々の行動には、未来に達成したい目的があり、それに向けて全ての行動が駆動されていると考えるのがアドラーの特徴です。



アルフレッド・アドラー『子どもの教育』


2. 根源的な目的=優越感の追求

 

目的論」を主張するアドラーの議論において、「根本的な目的」とは、すなわち「優越感の追求」です。この追求は神経症の人間だけではなく全ての人間に共通する目的であるとアドラーは考えます。そして、優越感を得られない時には「劣等感」を抱くという論理構成になっています。またこの劣等感は、人に成長を喚起するため、肯定するべき感情だと論じます。


たしかに人間は優越感を追求するというのは納得できますが、

すべての行動は優越感追求という目的のための行動だ」と考えると少し新鮮なのではないでしょうか。


3. 「有用でない」優越感と「有用な」優越感

 

しかしアドラーはすべての優越感・劣等感を肯定するわけではなく、

「優越感」(「有用な」優越感とも呼んでいます)を肯定し、「優越コンプレックス」(「有用でない」優越感とも呼んでいます)を批判します。

同様に「劣等感」を肯定し「劣等コンプレックス」を批判します。


「よりよくなりたい」という優越感やそれに伴う「自分はまだまだだ」という劣等感はOKです。しかし優越感の達成ができず劣等感が過度に溜まっていき、

劣等感が劣等コンプレックスに転化することがあります。

そうなると「私がAをできないのはBだからだ」という形で論理構成をし、なにか致し方がないように聞こえる理由(B)をもちだして自らの課題(A)から逃避します。

それがさらに進むと、「よりよくなりたい」という優越感が、「他の人よりすごいと思われたいから、他の人を蹴落とす、ないしは支配する」という優越コンプレックスに転化してしまうと考えます。


アドラーによれば、先ほどの潔癖性の例も「他人を蹴落とす論理として潔癖を利用している」と解釈できるのです。



アルフレッド・アドラー(1870年2月7日 - 1937年5月28日)


4. 発達とコンプレックス

 

このように、優越感追求が劣等コンプレックスそして優越コンプレックスに移行してしまうことがあるのですが、アドラーによればこの移行をもたらす要因は、外的・客観的(例えば人間関係など)なものではなく、その人の主観的な解釈であるといいます。つまり、自分を取り巻く状況をその人がそのような否定的なスタイルで解釈してしまうことで優越コンプレックスへの移行が進みます。そしてこの人によって異なる解釈のスタイルを「ライフスタイル」と呼び、そのライフスタイルが4〜5歳ごろまでに形作られると考えます。


ただそのライフスタイルは、親や環境に甘やかされているうちは優越感コンプックスに転化することはないといいます。自分が困難な課題に直面しないので、劣等感が過度に強くなることはないからですね。しかし、学校生活や進学など、その子供の課題が立ち現れたときに、優越コンプレックスをもたらし、子供のの人生を「有用でない」方向に導くといいます。


このようにアドラーの議論は発達心理学的な要素を多分に含んでいるのです。


5. 「治療」について

 

アドラーは精神科医ですから、上記のような優越コンプレックスに陥ってしまっている人を「治療」します。

その治療方針は

・利害関係のない医者という立場から患者を支えること

・患者の過度な劣等感を減じること

・患者を勇気付けること

・その結果として「共同体感覚」を養うこと

であるとしています。


「共同体感覚」とは、「自分が他の他人との関係性で価値があり、他人のために自分の人生を支えるという感覚、その結果として人々の一部として人生を全うできる感覚」のことです。優越コンプレックスに陥っている人は「他人のためにするなんてとんでもない。私のために何かをしてくれ」と考えます。自分にしか関心がなく、他人に関心がありません。


共同体感覚をつけるためには、医者側はどうするか。

アドラーは以下のように言います。


①「私はあなたを否定しない。すべて受け入れる」という受容の体制をつくる。

②その上で、「あなたは〜のように優越感を追求しているからそのような行動をするのですよね」と相手の無意識を意識化させる。

③その上で、「あなたは他人の役に立っています」と、共同体への相手の貢献を伝える。



アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』



6. コミュニケーションと人間の統一性

 

上記「治療方法」の②のように、相手の無意識的な目的を意識化させるためには何が必要でしょうか。アドラーを読むと、それは「相手のコミュニケーションの仕方」に注目することです。相手の一挙手一投足、一言一句からのその奥に潜む優越感の欲求を掴み取ることが大事だとのことです。


例えば相手が「私は怠惰なのです」といえば「私は怠惰だからAができなくてもしかたがない。怠惰でなければAができるのに」というメッセージ、さらにすすんで「本当はAがしたいのに」という本心のメッセージを読み取るということです。


このように、人が口に出していることは、一見その人の本心と食い違いそうですが、「優越感の追求」という観点から見ると統一的に解釈ができるのです。


このような点から、フロイトとアドラーの別の対比が見えてきます。

それは、「人は無意識と意識に分割されている」というフロイトに対して、

「人の無意識と意識は統一的に理解できる」としたアドラー、という対比です。


アドラーの心理学が「個人心理主義」(Individual Psychology)と呼ばれるのも、

Dividual(分割可能)ではない(In)、Individualとして人間を見るからです。



【塾の文脈での読直し】

 

アドラーはこれまで色々なところでその主張内容を聞いてきたので、

「あ〜あそこで聞いたこと、確かにここに書いてあるな」と再確認したところも多いのですが、以下にはこのたび新しく「そうかなるほど!」と思えた部分を書いてみたいと思います。


1.生徒の様子が変だ!=課題に直面している、という解釈

 

学習塾で日々生徒と接していると「おや?この子今日はちょっと変だな」と感じることがあると思います。それはもしかしてその生徒の優越コンプレックスが現れている時かもしれません。


例えば最近中1の男子で、宿題を明らかに丸写ししてきている生徒がいました。

これを「けしからん!」と考えるのではなくて「この生徒は乗り越えるべき課題に直面できず、よろしくない形で優越感を追求しているのでは?」と考えることができます。


その生徒は小学校の時まである程度勉強はでき、自分でも勉強が楽しいと感じていたようです。しかし中学校になって、難しい単元も増え、理解できないところが増えてきました。

結果としてこれまでの「勉強ができる自分」という優越感が崩れ、劣等感が生まれ、それがさらに進んで劣等コンプレックスになり、「答えを写してでも(=先生をだましてでも)できる生徒だと思われたい」という優越コンプレックスに転化しているのかもしれません。


このように考えると、こちらも声かけも大きく変わるかもしれません。



アルフレッド・アドラー『勇気はいかに回復されるのか』



2.コノテーションの解釈方法としての「優越性追求」

 

塾のようなコミュニケーション業にてよく聞くのは「デノテーション」(相手が発する言葉そのまま)と「コノテーション」(言葉の裏にある意図)の区別です。そしてコノテーションを読み取ることが大事だとよく言われますが、どうやって読み取ったら良いのかという問題があります。


ここで一つ「相手はどんな優越感を追求してこの言葉を言っているのだろう?」とコノテーションを読み取るという方法がアドラーから読み取れるかもしれません。


例えば上で挙げた「私怠惰なんです」というのはまさにそんなコノテーションの例かと思います。



3.勇気づけの方法

 

アドラーの「治療」の根本方針である「勇気づけ」は「共同体感覚=他者への貢献感」を基軸に置いています。


私はこのごろ生徒たちをみるときに「この生徒は、私に何を応援して欲しいのかな?」と考えることにしているのですが、具体的な応援方法=勇気づけ方法については、あまり考えられていなかったような気がします。


しかしアドラーを読むと「他者への貢献感」が非常に重要であるとされています。たしかに「自分が他人の役に立っている」と感じることはとても嬉しく、「自分って捨てたものじゃないな」と感じることができると思います。


ちょうどアドラーの「他者貢献」についての一節を読んだ日に、ある中3の生徒が授業後に教室の掃除を手伝ってくれたことがありました。勉強に前向きになれず入塾してきた生徒ですが、その掃除がとてもありがたかったことを率直に伝えたところ、小躍りをしていました(本当に文字通り踊っていました)。


これはあくまで一例なのですが、何か他にもっと、生徒の貢献感を伝えてあげられる機会をもてないかな、と強く思わされました。





人間を統一的に捉えられるアドラー心理学は、

多くの批判があるもののとても貴重な視点を提供してくれると思います。


一つの重要な視点として、今後も大事にしていきたいと思いました。


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