こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!
今回はレフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキー『「発達の最近接領域」の理論』をとりあげます。『やさしい教育心理学』(有斐閣アルマ、2012年)の参考文献からとりあげました。
【概要】
レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキーは20世紀前半のソ連の心理学者であり、
37歳の若さでこの世を去ったものの、革新的な理論とたいへんな多作のため、
「心理学のモーツァルト」と言われていたようです。
一口に心理学といっても、ヴィゴツキーは芸術心理学、俳優心理学、教育心理学などかなり多面にわたって執筆をしていて、かつそれぞれの内容に密接な関連があり、それらが合わさって一つの思想体系を作っているような、天才心理学者だそうです。
本書はそんなヴィゴツキーの代表的な論文を死後に再編集した書籍です。
全体で一つのテーマを書き下ろしている本ではなく、
様々なテーマについての論文が収録されているため、
以下の【概要】では特に重要と思われる論点3つに絞って整理をしていきます。
そもそも前述したようにヴィゴツキーの思想体系自体が壮大なので、
ひとまず理解できたかもしれない部分に絞っていきます・・笑

レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキー(1896年11月17日 - 1934年6月11日)
論点(1) 発達の最近接領域(ZPD)
突然ですが、生徒の学力水準をどのように測ればよいでしょうか?
普通に考えれば「テストを行い、点数を見る」ということになるでしょう。
しかしヴィゴツキーはこの考えに反対します。
ヴィゴツキーによれば
①今日の発達水準:生徒が自分一人で出せる成果(これはテストの点数でわかりますね)
②明日の発達水準:生徒が大人の助けのもとで出せる成果(言い換えれば、明日には自分一人でできるようになっているかもしれない成果)
の2つを区別するべきだ、といいます。
例えば、テストで同じ点数をとったAくんとBくんがいます。
Aくんは先生の助けを借りれば点数が20点アップし、
Bくんは先生の助けを借りても点数が5点しかアップしませんでした。
この時、上記①のみで見ると二人の学力水準は区別できませんが、
②の視点で見ると区別できます。
つまり、①と②を区別し、①と②のギャップがどれだけ大きいか(つまり教えたらどこまでできるようになるのか)を意識することが大事なのです。
このように、教授行為によって伸ばすことができる生徒の伸び代のことを
「発達の最近接領域(the Zone of Proximal Development: ZPD)」といいます。
ヴィゴツキーによれば、生徒の学力水準(学力に限定せずにいえば、発達水準)を測るためには、単なるIQテストなどではなく、ZPDの考え方を用いるべきだ、と言います。

ZPDの図解
(参照元:https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090113ZPD.html)
論点(2) 教授行為と感情
では、実際に教授行為を行う際にはどのような点に気を付ければよいでしょうか?
当たり前ですが、「わかりやすく」説明することですよね。
しかし「わかりやすく」とはどういうことか説明できるでしょうか?
ヴィゴツキーの答えは「感情に働きかけること」というものです。
学校的な知識は、基本的には抽象的・論理的概念です。
生徒たちの学校外の生活(友達・家族・地域)からは切り離されたものとして教えられることが多いと思います。そしてそれゆえに、感情的というよりは理性的(認知的)に教えられることが多いです。
しかしヴィゴツキーは学校的知識のような抽象的概念を学ぶためには、生徒たちの感情を揺さぶる必要があると考えます。
もっと突っ込んでいうと、ヴィゴツキーは生徒たちが持っている生活感情と学校で教える知識を結びつけることが大事だと言います。
例えば、社会科で公害問題を話すとき、公害についての客観的情報(地名・病名・年号)などを話すことはもちろん大事です。しかしそれと同時に、生徒の感情を巻き起こさないと、知識として入っていきません。具体的には、映像・講話・事例の紹介などを通じて公害被害者の感情を生徒と共有することが、知識の定着と深化につながるかもしれません。
論点(3)ピアジェ批判としてのヴィゴツキー
上記に述べた2点は、ピアジェへの批判として捉えることができます。(というよりヴィゴツキーは直接ピアジェを批判しています)
ピアジェは以前の記事で述べたように、子供の認知水準の発達過程を説明していました。
例えば「因果関係という論理的概念の認知は〇〇歳にならないと難しい」などの発達段階を整理してくれていました。

ジャン・ピアジェ(1896年8月9日 - 1980年9月16日)
ヴィゴツキーと同い年ですね!!ずいぶん長生きですが。
しかしピアジェの議論には
①認知水準が教授行為によって引き上げられるという視点がなかった
②発達過程における感情の役割にあまり注目しなかった
という問題点があるとされます。以下に少し詳しく説明をしてみます。
①について
ピアジェとヴィゴツキーの争点をかなり単純化して提示すると