こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!
今回は番外編ということで、
教育学の文献ではなく、
教育関係の小説をとりあげたいとおもいます。
最初の番外編としてとりあげるのは森絵都『みかづき』です。
学習塾小説といえばこの本!といったところですね。
【概要】
とはいっても、内容を説明してしまうとネタバレになってしまうため、
ほんとうに概要だけ書きます。
はじまりの舞台は1950年代の千葉。
とある小学校で用務員として働いていた大島吾郎は放課後に補習教室を生徒向けにこっそり開いています。その小学校に子供を通わせながら家庭教師をしていた赤坂千明が吾郎と出会うところから物語は始まります。
お互いの教育への思いをもとに距離を近づけた二人は、1960年代初頭に千葉でとある学習塾を立ち上げ、理想の教育を追い求めます。
学校教育が太陽であるとしたら、塾の教育は月である。
しかしその中で月が満ちるように、子供たちに教育を与えなければいけない。
そのような思いの中で、二人は塾経営に邁進していきます。
学習指導要領の改訂、大手進学塾との競合、文部科学省との確執、内部分裂、他塾からの妨害、経営の世襲にまつわる問題など、様々な課題を経て、その学習塾は日本の教育業界・学習塾業界にとって非常な大きな存在になっていきます。
森絵都(1968年〈昭和43年〉4月2日〜)
【心に残った箇所】
千葉の市進学院をモデルにしているとされるこの本は、
1960年代から2000年代にかけての塾の興亡を描いていますが、
取材がこまかく、参考文献にもしっかりとあたっていて、
当時の塾の様子や塾への社会の視線がありありと想像ができます。
(また細かいですが、1950〜60年代の学生運動と学習塾の関係についての記述が面白かったです)
その中でも、特に心に残ったポイントをページ順に羅列します。
背景まで書いてしまうと面白くないので、本当にセリフの抜き書きのようになります。
「おもしろそう!」「読もうかな!」とおもってもらえると幸いです。
◯「勉強ができない子は集中力がない。集中力がない子は瞳に落ち着きがない。この<瞳の法則>を見いだして以来、吾郎はまず何よりも彼らの視線を一点に据えさせることに腐心した」
◯「大島さんに教わると子供たちは変わる。それは、あたなに待つ力があるからです(中略)子供たちが自ら答えを導き出すまで、あなたは余計な口出しをせずにじっと待つことができる。簡単なようでいて、多くの教員にはこれができません」
◯「大島さん、私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。太陽の光を十分に吸収できない子供たちを、暗がりの中で静かに照らす月。」
◯「大人数での集団授業に慣れ、勉強に対して受動的になっている子供たちも、教える側が先まわりをしてあれこれと世話を焼き過ぎなければ、自ずと頭を使い出す。わからないこと、ふしぎなことは「知の種」だ。なぜだろうと首をひねった瞬間、彼らの中には知的好奇心の芽が伸びる。子供を勉強に親しませる最善の道は、その芽を大事に育ててやることだと吾郎は思っている」
◯「どんな子であれば、親がすべきことは一つよ。人生は生きる価値があるってことを、自分の人生をもって教えるだけ」
◯「教員たちの目に支配者のそれをみてとるたびに、一郎の中には秘めたる反発心が育って行った。(中略)祖父の瞳には支配者のそれがない。その生涯を教育にかかげてきながらも、なぜだか教育者の匂いがしない」
◯「テストの点が悪くても、授業中に寝てても、誰も何にも言わないんだって。宿題をやってこなくても、先生に怒られたことないんだって。萌ちゃんだからしょうがないって感じなんだって(中略)だから、お兄ちゃんに怒られて、ものすごく、びっくりしちゃったんだって。びっくりしたけど、うれしかったんだって。」
◯「我々の最終目標は、子供たちに自主学習の姿勢を身につけさせることだ。決まった時間に机に向かい、自分に決めた課題に取り組む。それができるようになった子、つまり自立心を手に入れた子は、その後、何があっても容易には崩れない」
森絵都『みかづき』
と、まだまだあるのですがこれぐらいにします。
いずれにせよ、この本を読んだ後で、
自分の目の前にいる生徒たちをみると、
これまでとは少し違った気持ちで、もしくはより強い気持ちで、
教育について考えることができると思います。
とてもいい本なので、是非ご一読ください!
ちなみにこの本の主人公である大島吾郎が依拠している
スホムリンスキーという教育者がとても気になりました。
近々の書評に載せると思いますので、よろしくお願いします。
Comments